静御前ゆかりの地 静神社 | 乙姫ゆかりの地 島児神社、福島 | 間人皇后ゆかりの地 立岩、間人皇后・聖徳太子母子像 |
丹後王国から車で約20分 | 丹後王国から車で約15分 | 丹後王国から車で約20分 |
京丹後市網野町磯 | 京丹後市網野町 | 京丹後市丹後町間人 |
源義経の生涯の愛妾、静御前。 その木造の像がまつられている神社です。網野町磯という小さな漁村の出身である静は、6歳で母とともに上京。その巧みな舞と美しさで屈指の白拍子となり、源義経に見初められるのです。乱世の末、わが子を失った静は故郷の網野町磯へと戻り、小さな庵で義経の無事と子どもの冥福を生涯祈り続けたと言います。 | 網野町浅茂川の海岸に鎮座する「島児神社」。島児(しまこ)とは、みなさんもよくご存知の浦島太郎のことです。すぐ側には浅茂川漁港があり、その先にある「福島」は、浦島太郎と乙姫がはじめて出会った島とされています。 | 間人皇后(はしうどこうごう)は、聖徳太子の生母。6世紀末の争乱を避け、聖徳太子とともに現在の丹後町間人(たいざ)に身を寄せたと伝えられています。そこでの厚いもてなしのお礼に、皇后はみずからの名をこの地へ贈ります。しかし、村人達にはあまりに畏れ多く、皇后が退座したことにちなみ、“たいざ”と読みかえたとされています。 |
細川ガラシャゆかりの地 細川ガラシャ夫人の碑 | 小野小町ゆかりの地 小町公園 | 羽衣天女ゆかりの地 乙女神社 | 安寿姫ゆかりの地 安寿姫塚 |
丹後王国から車で約35分 | 丹後王国から車で約35分 | 丹後王国から車で約35分 | 丹後王国から車で約70分 |
京丹後市弥栄町 | 京丹後市大宮町 | 京丹後市峰山町鱒留 | 〒624-0967 京都府舞鶴市下東 |
tel 0772-64-5533 | |||
明智光秀の三女として生まれ、現在の舞鶴に嫁ぎました。父が織田信長を討った本能寺の変後、現在の弥栄町味土野に幽閉され、そこでキリスト教と出会います。やがて洗礼をうけてガラシャという名を授かりました。ガラシャが住んだ屋敷があったとされる高台には石碑がたち、美しい景色が眺められます。 | 絶世の美女といわれた平安時代の歌人、小野小町。その小野小町が晩年を過ごしたと言われるのが大宮町五十河(いかが)です。寝殿づくりをイメージして建てられた小町の舎に入ると、小町のブロンズ像がお出迎え。小町に関する文献や資料があります。 | 天女が水浴びしていると、老夫婦に羽衣を隠されて天に帰ることが出来なくなり、老夫婦と酒を造って暮らすという伝説。その発祥の地、磯砂山(いさなごさん)の山頂展望台からは大江山、天橋立、小天橋が一望できます。そのふもとにある乙女神社にお参りをすると、美女を授かるといわれています。天女が水浴びをしたとされる女池(めいけ)の水をかきまぜると雨が降るといわれています。 | 安寿姫塚は、森鴎外の「山椒大夫」で有名な安寿姫の墓地。京都府舞鶴市の西舞鶴市街地の西 側にある建部山のふもとに位置します。 太夫の家を逃れた安寿姫は、京へ上がろうとする途中、中山から下東へ出る坂で、疲労と空腹に堪え切れず最期を遂げたもので、地元の人々に手厚く葬られたと されています。 |
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皆さまの長寿と幸福を心から願う一品などをご用意し、皆様のご来園をお待ちしております。